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世界史講義録 第4回メソポタミア文明/ 第6回オリエント史の展開
世界史20話プロジェクト 第1話 古バビロニア・インドヨーロッパ系民族 004


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古バビロニア王国

言葉がセムという言葉を話す民族。アムル人。
セムは聖書のノアの箱舟のその、洪水の後に生まれたセム・ハム・もう一人のうちのセムを祖先とする民族、という意味。
言語はセム系。上記のセムを祖先とする民族という意味。

次にメソポタミアを統一したのがセム系アムル人が前19世紀に建てた古バビロニア王国です。別名バビロン第一王朝。前17世紀までつづきます。  都は有名なバビロン。  王も一人覚えてください。ハンムラビ王です。

 

でたーーーー!ハンムラビ法典!の王様。
めっちゃ、ドSなイメージw
ルーブル美術館に行ったのに、このくさび形文字の石碑を見てなかった!ショック!!

*同害復讐法
「目には目を。歯に歯を。」

「もし人が自由人の目をつぶしたときは、かれの目をつぶす。」(第196条)
誰かに危害を加えたら、同じことをされるということだ。  
非常に厳しい法律のように感じますね。でも、この同害復讐の原則は復讐に合理的な限度を定めたという点で社会が発展したことを示しています。

多くの民族が侵入し、戦を繰り返したメソポタミア地方は、生きていくうえで常に緊張していなければいけなかったと思います。  
古バビロニア王国の支配者はアムル人でしょ、支配されているのはシュメール人アッカド人、そのほかいろいろな民族がいたと思う。違う言葉をしゃべって、違う風習で暮らしている。争いがおきたときどうやって仲裁するか、合理的なルールが必要だったんだね。

*身分差別的刑罰

「もし奴隷が自由人の頬を殴ったときは、かれの耳を切り取る。」(第205条)

奴隷が自由人に危害を加えたら、それ以上の重い刑をうけるわけだ。逆に身分の高い者が奴隷を傷つけても罰金ですみます。厳しい身分差別があったことがわかります。


▼インドヨーロッパ系遊牧民の侵入▼

メソポタミア地方、エジプト、さらにイラン高原や小アジアを含めた地域をオリエント地方といいます。これは「東方」という意味です。ヨーロッパから見た表現です.
前2000年から前1000年にかけての1000年間はインド=ヨーロッパ語族の大移動の時代です。かれらがもともとどこにいて、いつ頃どのように形成されたのかはっきりしませんが、漠然と黒海カスピ海の北方から移動してきたと考えておけばよいと思います。たぶん気候の変動が原因で移動を開始します。

 ある集団はイラン高原に南下したあと東に向かい、インダス川を越えてインドに侵入しました。これがアーリア人で、もとからインドにいた諸民族とともに現在のインド文明を築きます。
 イラン高原に入った集団はペルシア人になります。
 西方に移動したグループもいて、ギリシアに南下した集団がギリシア人、イタリア半島に入った集団がラテン人になる。
 黒海北岸から、ドイツにかけて住みついたグループがゲルマン人となる。

 当然、最も豊かだったメソポタミア地方に移住した集団もいました。かれらが最初にこの地域でつくった国家が三つ。
 ヒッタイト、ミタンニ、カッシートです。

 

ヒッタイト・ミタンニ・カッシート

ヒッタイト
小アジアに国家建設
古代バビロニア帝国を征服
馬に乗り戦車を使用=スポークを作ったのもヒッタイト人が初。


ヒッタイト=鉄!

昔は金より鉄の方が価値があった。昔は青銅だったので、鉄ができてびっくり。

エジプト王国と戦う

海の民に滅ぼされた

ミタンニ:古バビロニア滅亡後、メソポタミアの北部に建国したのがミタンニ。エジプトのイクナートンの妃ネフェルティティは、ミタンニからエジプトに嫁いだといわれています。    

カッシート:メソポタミア中南部に建国したのがカッシート。かれらはそれまで縦書きだったくさび形文字を横書きにした。

 

やがて、ミタンニに服属していたアッシリアという小国が、ミタンニの弱体化に乗じて発展し、前8世紀から前7世紀にかけてオリエントを統一する帝国を建設する。 

 
▼アラム人

内陸貿易をする。シリアのダマスクスを中心とする。
アラム語が商業用として広まり、イエスキリストの時代も共通語はアラム語

 

▼地中海東岸の諸民族▼

▼フィニキア人

フェニキア人が海上で活躍できたのにも理由がある。かれらの住んでいたのは現在のレバノン。当時はまだレバノン杉が豊富だったんだね。それで、舟を建造したのです。さらに、レバノン杉が重要な交易品となったのです。  かれらの文字、フェニキア文字は、ギリシアからヨーロッパに伝えられアルファベットとなります。商人たちが帳簿を付けるためにつくられた文字だったので書きやすく読みやすい。一般の民衆に開かれた文字ですね。エジプトの神聖文字などは、神官、書記など支配者だけに独占された文字です。だから、伝えるものが途絶えると読めなくなってしまったです。そこがフェニキア文字との違いです。

レバノンって、どこだっけ?と調べたらこんな小さな地域に・・・。あああ。

ヘブライ

ユダヤ教を生み出した人。
その後のキリスト教イスラム教の元であるユダヤ教

パレスチナチームと、エジプトチームに別れる。
エジプトチーム、大変で出エジプト
モーセさん、海ぱっかーん。(ぱっかーん)
戻ってくるときに、シナイ山にて「自分の神を信じましょう。」一神教ユダヤ始まり。十個の約束、十戒誕生!

山を降りた後に放浪生活、現在のパレスチナ地方に定住する。

ヘブライ王国は、ダヴィデ王、ソロモン王の時代に中継貿易で大いに栄えますが、そののち南北に分裂。北部に成立したのがイスラエル王国(前932~前722)。南部にできたのがユダ王国(前932~前586)。  イスラエル王国アッシリアにより征服され滅亡。  ユダ王国アッシリア時代は持ちこたえますが、アッシリア滅亡後にメソポタミアにできた新バビロニア王国に征服されました。

 新バビロニアは征服したユダ王国の民、約5万人をバビロンの町に強制移住させた。この事件を「バビロン捕囚」といいます。このときの新バビロニアの王がネブカドネザル2世。  

この強制移住という政策は被支配民族の抵抗をつぶすために当時は頻繁にやられていたのですが、ヘブライ人はこれを非常に深刻に受け止めます。  これが、ユダヤ教成立の第2段階です。 ー中略ー 苦難の中でヤハウェ神に対する信仰がいっそう強まり、民族としての団結心が強まった。  

 

50年ほどバビロンに移住させられたあと、新バビロニアが滅んで、かれらは故郷の地に帰ることが許されます。帰った人々は喜び勇んでヤハウェ神の神殿を建設し、いっそう熱心に戒律を守り宗教指導者のもとで生活をするようになります。  

 

ユダヤ教の特徴▼

 1.一神教である。

 2.偶像禁止

 3.選民思想

 4.救世主待望思想

  (→キリスト教の誕生。ユダヤ教のままの人はイエスキリストを認めていない人)

 

 


世界史で覚えられないので地理も一緒に覚えるために作って見ました▼

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2つの世界史より勉強中▼

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書籍化されていたようなのでメモ:

 

YouTubeで授業を受ける  書き込みノート 世界史20話プロジェクト

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「なぜ?」がわかる世界史 前近代(古代?宗教改革)