思ったこと:偽善者って何?【植松 努さん】

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最近、ずっと見ている投稿の中で気になる文章がありました。

要約すると・・・

講演を頼まれて、日にちを決めて詰めていく最中に「お金が払えない」と言われた。
しかし、交通費だけでも8万がかかってしまうため、ボランティアとしていくことはできないと断ると「偽善者」と言われた。

社会奉仕は無償でしないといけないのか??

難しい問題ですが、いつも「ボランティア」や「社会奉仕」について考えさせられることがあります。

良いことをするには、お金をもらってはいけない(請求してはいけない)という元に動いている人がいますが、はたしてそうなんでしょうか?

そして、無償でやるから尊い行ないなのでしょうか?
 

・・・・・確かに、無償で何かをすることはすごい大変です。
エネルギーも使うし、それが自分のご飯や生活の助けてくれるお金にならないとは、私からは考えられないです。
だからこそ、それができる人はすごいと思います。

でも、「無償でやるから」尊いのではなく、本気で人の役に立ちたいという「尊い気持ち」をもっていることが本当の尊い行いなのではないでしょうか?

 

で、結局偽善者って何?

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本題からそれました。植松さんは、「偽善」という言葉に対してこう言っています。

様々な方々が、「偽善」について本を出されています。
それらを読んで、僕が出した答えは、
普通の人間は、完璧な善になりきれない。どこかに悪の心もある。
普通の人間は、完璧な悪になりきれない。どこかに善の心もある。
だから、人間は、必ず、悪の心を持ちながら、善の行いをしてしまうので、人間は必ず「偽善者」だったんです。
引用元:植松 努 フェイスブック投稿より

 そうか。人間って完全体じゃないから、もともと偽善者だったのか。
目から鱗。

今まで思っていたもやもやが解決しました。
これって、社会奉仕とかではなく人間関係を考える上でも重要な事かもしれませんね。